ユリイカ 図鑑の世界

大久保ゆうさんが寄稿されたと聞いて、『ユリイカ』の「図鑑の世界」を先日購入し、少しずつ読んでいる。

読んでいると、小学校の頃にひたすらに図鑑を読みまくり、深い海の中へ潜り込んでいく感覚を思い出した。ぼくは海無し県に生まれたのだがなぜか海洋生物がとても好きで、海に行って見れない代わりに何度も何冊かの海洋生物の図鑑を読んでその世界に入り込んだ。なぜ海洋生物がこれ程好きなのか、自分でも余りよく分からないのだが、おそらくこの生き物たちほど重力から解放された生き物は地球上にいないからかもしれない。それは時に空を飛びながら、時に底を這いながら、時に重力とは比べ物にならないほど強い力に四方八方に圧をかけられながらも、むしろその環境で形を保っている生き物たちがいる。その姿、限りなく小さいものからおののく程大きな生き物まで、彼らは海で生きている。自分とは全く異なる環境で生きている生き物たちに思いを馳せること、そして本当にありがたいことに生で触れる機会を得て彼らを直に見たり触れたりしたこと、そのたのしさもあるがそれよりも感動の大きさ(例えば小さな魚でも彼らの鱗の色形の美しさはただただ見とれるしかできない)は小学生のぼくを魅せるには十分すぎるというか、今も地続きになっているほど大きくて強いものだった。

まだ1/3程度しか読めていないのだけど、かなり頻繁に出てくるのは図鑑の情報のアップデートについてだった。

ぼくは海洋生物にのめり込んでいくうちに途中から深海の世界へハマってしまって、今でも抜け出せていないのだが、それがなぜかが分かった気がした。深海は深海の水圧に耐えれるような技術がなければ、そこにいる生き物の観察、採取などができない。ぼくが小学生の頃にネットで見た深海生物の写真はユメナマコというのだったが、ぼやけた赤ピンク色の物体みたいな感じだった。写真の技術もまだ今ほど高くなかったのだ。

海洋生物から深海生物へ興味が移ったのは、きっとこういう技術の進歩で今日ほどに情報がアップデートされたからなのだとふと思った。ぼくはアップデートされ続けるものを求めていたらしい。それから少し間を開けて新しい本が出たらチェックするようになった。新しい生物が見つかったか、見つかっていたらそれはどんな姿なのかを見たかった。新しく見つかった生物は名前がまだついていないものが多くて、次に新しく買った図鑑には名前がつけられていることがある。それもすごく楽しみだった。こんな名前がついたのか!かっこいいなあ、とかまた変な名前だなあとか(生き物の名前って時々ヘンテコなものがあるよなあ)一人で夢中になってたのしんでいた。

あまりに図鑑ばかり読んでいるので、先生は途中から文章のある本をもっと読むようにぼくに言ってくださいと母に相談されたりしたけれど、母は全く意に介さずにぼくは図鑑を読み続けた。先生は図鑑に絵だけがあると思っていたのだろうか、図鑑に書かれている文章の情報量は、文章だけの本をけっこう超えるくらいのものがあることを、きっと知らなかったのだろうなあ。

読んでいると思い出すことがたくさんあって、図鑑を読んでいた時期はぼくはぼくにとってすごく貴重な時間を過ごしていたのだなと気付いた。またユリイカを読んでいるうちに思い出すことが幾つかあるかもしれない。読了したらまとめもしたい。そしてまた最近出た図鑑を買って海の世界にノックしてみようかな、とか思ったりした。