光悦寺

外へ出掛けやすい季節になってきたので、前々より行きたかった寺へ行くことにした。そこで事前の知識を少しでもつけておこうと思って(日本史が中学レベルの知識で止まっているため殆ど何も知らない)、調べたところとてもよい人に出逢った。

その人物は、行く先の寺の名前にもなっている本阿弥光悦(1558-1637)という人だった。光悦は安土桃山から江戸初期にかけて生きた人、芸術にとても秀でた人で、この寺がある一帯を鷹ヶ峰というらしいのだが、そこで芸術に携わる職人を集め芸術村を拓いた。

バス停で降りて光悦寺に向かう途中に市の立てた記念碑があった。

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この記念碑の中に書かれた光悦の言葉は、確かにその通りになったのだろう。光悦は寛永の三筆、そして琳派創始者のひとりでもあるs調べている途中で作品を見たのだが、とても好きな絵でこうして琳派創始者だとわかるとなるほどという感じだ。

 

参道の入口に立つと、えもいえぬうつくしさがそこにはあって、ゆっくりと歩く中溜息をつくことしかできない程だった。

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門の奥まで続いている。

 

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石畳に光が落ちていてとてもよかった。この参道にしかれた石畳の真ん中、菱形か正方形の石を何とかというとか、後から来た団体客のナビの方が仰っていたが、何といったか忘れてしまった。メモをすぐに取っておけばよかった。

 

受付を済ませて本堂を拝観する。本堂は庭の大きさに比べてかなりこじんまりとしている。元々が寺ではなく光悦の土地だったからだと思う。

庭の中へ入るとただただ濃淡のある趣の世界があった。

 

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光悦の墓

御参りをし、振り返ったところの道にまた溜息がつくほどうつくしかった。勿体なくて写真は撮らなかった。

 

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夏の緑は盛を過ぎたはずだけれど、とてもきれいな緑がそこらかしこにある。曇っていたが時々晴れ間が差して、光が落ちたあたりは影と綺麗な境界ができてより緑が映えた。

 

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茶の庵へ行く道の途中で、鷹ヶ峰とその両隣にある峰が3つ並んでいるのが見え、また京都市内を望むことができる。

 

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折り返して来た道を戻る。

 

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入口にあった花。詳しくないので名前が分からない。

 

光悦についてもう少し詳しくなって、ぜひ作品を一度見た後にまた来たいと思った。ぼくは雨の銀閣寺がとても好きなのだけど、同じくらいここが好きになった。

最近目が一段と悪くなってよく見えないところがあったのが少し残念であったので、眼鏡を変えてもまた来たい。

 

 

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金閣寺まで歩いて20分ほどらしかったので行くことにした途中で寝ていた犬、誰かが使っている途中なのか分からない場所。

 

着くと修学旅行生と観光客の人で溢れていた。有名な場所は人の量が違う。平日なのにな。仕方ないので近くの売店で150円のコロッケを買って、食べながら戻ることにした。

 

#光悦のいた場所