死について思うこと

何だかふと文字を書きたくなり,文章を立てたくなり,おそらくじっくり内省する時間を取りたくなった.

以前,アガンベンの「剥き出しの生」について少し知ったのだが,色々と読んでいるとやはり僕はいま生きていることを死なしでは考えられないとつくづくと感じた.生きながら死について思考をするのは,往々にして否定的に捉えられる.死について考えなければ,生きることも楽しくなるだろうに,みたいに言われたこともあって,確かに死について考える時は苦しいこともあるのだが,それでも僕は興味がある.それもかなり湧き出てしまうほどの興味がある.それならばどこまでも思考を巡らせよう.往々にして興味というのは尽きないし止められないものなのだから.

多くの遥けさの物静かな友よ,どんなにおまえの呼吸が空間を拡げるか感知するがよい.暗い鐘楼の組み合う梁の中でおまえの音を鳴り響かせよ.おまえを消耗させるものは,おまえを糧として強いものとなる.

ヒントはおそらくどこにでも落ちている.僕がきちんと鼻を使って匂いを嗅ぎ,あらゆるものの目を使ってものを見ることができたなら.

最近,勉強から離れていることが多かったので学びたい欲求が上限に来てしまったのかもしれない.少しでも時間があれば,存分に勤しみたいと思う.5分を1時間にすることなんて案外簡単なのかもしれない.

 

ふと見た本の中に,神社や寺院の参道が長いのは,目的に向かうまでに思考を巡らせることによって心を落ちるける,俗から聖に自分を移してゆくためなのだと書いてあってなるほど,と思った.宗教,特にキリスト教と仏教は前から興味があったのだが,少し詳しく学んでみたいと思った.

 

追記:メニューバーで猫を飼い始めました.

 

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#鷲舞